①弱い人間の価値(タナトスを育てる要因)

 

 

集団ストーカーというものは、浄土真宗&曹洞宗信者をフル動員(日本全国の信者数、併せて2000万人)することで可能になる。本願寺の人々とは弱い人間の価値に気付いた人々である。弱い人間の価値とは、弱い人間は脅せば何でも言うことを聞くこと、弱い人間は自分の生活と生命が最優先事項であること、そして非常に数が多いことである。この弱い人間の価値が、そのまま集団ストーカーに活かされている。

 

ちょっと考えれば分かると思うが、集団ストーカーのような非人道な行為、個人に対する人権蹂躙を指令する人間は、集団ストーカー加害者の人権さえ何とも思わないものだ。つまり、集団ストーカー加害者に対する金銭の授与はありえない。良く言ってボランティア、悪く言って奴隷である。なぜ金ももらわずに他人に嫌がらせが出来るのか?なぜ浄土真宗&曹洞宗信者が集団ストーカーを行うのか?その答えは彼らが弱いからだ。そして本願寺が怖いからだ。本願寺の命令を聞かなければ、逆に自分が集団ストーカーされる。今、目の前で自分が赤の他人にしたことをもし自分がされたら?そう思うと怖くて怖くて仕方ないのだ。つまり、彼らは集団ストーカーの命令を無視することはない。これも弱い人間の価値である。人類の発展には全く寄与していないが、すべては、弱い人間に利用価値があることを認めた本願寺の先見の明だといえよう(バカとハサミは使いようの語源)。

 

集団ストーカーとは、量VS質の戦いでもある。どんなにバカでも、どんなに弱くても、そんなできそこないがたくさん集まるだけで優れた人間、強い人間にも勝てる。この発想が集団ストーカーの根幹にある。一向一揆も同様である。一揆とは、大勢の農民を訓練された武士にぶつけることである。この場合、武士一人につき、10人ほどの武装した農民を相手にしなければならなくなる。数で圧倒することで、武士の厳しい鍛錬、高い戦闘技術を反故にするのだ。ウソもひとりでつけばただのウソでしかないが、大勢でウソをつけばそれは真実となる。量で圧倒することが、できそこないであるタナトスの一族の勝利の法則だ。また、弱い人間は口も堅い。強いから口が堅いのではなく、弱いから口が堅いのだ。斯様に、タナトスの一族が編み出したすべての手法に、弱い人間の価値が息づいている。

 

東西本願寺の正体は死神タナトスであるが、タナトスは史上初の人喰い人種であり、すべての悪の父である。歴史上、すべての悪党はタナトスに通ずる。現代では、すべての悪党は本願寺に通ずるのだ。タナトスはおよそ30万年前に生まれたが、彼らは極度に罪悪感が欠如した状態で生まれるため、平気でウソをつき、笑いながら人を殺し、喜んで幼児を陵辱・殺害し、嬉々として人肉を食べるという異常な本能を得た。我々とは似て非なる、異なる人類だと言っても過言ではない。ディープステート、安倍総統や怪物モンサントもタナトスの一族である。彼らは名前の違う家族を動員して秘密結社を作る。安倍政権も日本会議もできそこない家族の寄り合いでしかない。安倍総統は日本では敵なしだが、外国では総スカンを喰らっている。家の中では無敵だが、外に出たらみそっかすでしかない。丸でひきこもりと同じだ。その安倍政権が先だってのフェイクニュース(ひきこもりの通り魔事件)で散々「ひきこもりは悪だ」と、ひきこもりの印象の悪化に務めていたが、これは最早お笑いだとしかいいようがない。

 

ところで、集団ストーカーとひとことで言ってもやり方は被害者の数だけある。また、生活環境、立地条件の数だけあるといっても過言ではない。集団ストーカーとは、基本的には日常の所作、音を武器化することである。日常の所作、音を武器化するには最先端機器による被害者の完全監視が必須だこの完全監視が欠けていたなら、日常の所作、音を武器化することはできない。自殺が毎年3万人を超えるようになった1998年頃から、本願寺は家族である三菱重工が製作したスーパーコンピューター、人工衛星、光通信システム、レーザー透視装置、レーザー盗聴機、レーザーセンサーを連携させ、新しい技術を導入した集団ストーカーを始めた(毎年3万人の自殺はこれが原因だ)。

 

オレの例をひとつ挙げるが、例えばウチの台所は隣家の駐車場に隣接している。本願寺(ウチの地元は曹洞宗の縄張りだが)はこの立地条件を活かし、おれが台所に立つと隣家の住人が偶然を模して車で帰宅し、思い切り車のドアを閉めるということを繰り返させている。俺の動きに合わせて音を出すことは、上記の最先端技術システムにより可能である。更に、第三者からみれば住人が車で帰宅したに過ぎない。これが日常の所作、音の武器化の利点であり、集団ストーカーの醍醐味(?)である。
見える部分での認識は、「住人が帰宅した」というに過ぎない。が、集団ストーカー的な視点で見れば、見えていない部分が非常に重要となる(見えていないからこそ加害者は容易に否定ができる)。台所に立つ時間は限られているわけだが、その時間帯になると隣家の住人はイチイチ車でウチの近辺に待機し、AIが「あいつが台所に立った」ということをレーザー骨伝導音声送信で住人に伝えることで住人はそそくさと帰宅し、台所にいる俺に対する威嚇として思いきり車のドアを閉めるわけだ。
非常にくだらないことだが、これを毎日、毎回繰り返すことによりドアの音を武器化するのだ。被害者も人によってはブチきれて近隣住民(邪教信者)に襲い掛かり、一方的に悪者扱いされて警察(仏教の用心棒)に逮捕されたり、精神病院に収容されることもある(たまに子どもの騒音にキレて事件を起こす人がいるが、彼らも本願寺の悪意の被害者である)。
通常の人なら「イチイチ待機するやつなんているわけない」となるが、邪教信者にとってこの世で一番怖いのは本願寺である。そういうわけで、待機することは苦ではないのだ(実質、奴隷と呼ばれていないだけの奴隷だから、顔を見ると辛そうな顔をしていることもあるがw)。集団ストーカー要員の最大待機時間は30分ほどだろう。ただ、それでも苦痛なようで、丸でなかなか来ないバスを待つ人のような顔、校長先生のつまらない話を聞いている中学生のような顔をした集団ストーカー要員を良く見かける。
集団ストーカーを否定する者(おおかた本願寺の者だが)は東西本願寺に悪意がないことを証明しなければならない。個人を完全に監視する技術はあるのだから技術面の否定は不可能である。

 

弱い人間Q&A

 

Q イヤガラセのために待機するようなそんな暇なやついないと思うが

A 弱い人間は人生通してほぼヒマだが、もしヒマがなくても弱い人間は怖い人間に脅されれば無理してでもヒマを作る。

 

Q 他人に嫌がらせしろと言われてイヤガラセをする人間なんかいるわけない

A 弱い人間は、相手が怖い人間であれば何でも命令を聞く。生活の安定と保障を求めて悪に服従するのだ。

 

Q 金ももらわずにそんなことするやついるわけない

A 弱い人間は、相手が怖い人間なら何ももらわなくても何でもやる。逆に、怖い人間に全財産をくれてやることもある(お布施)。

 

②罪悪感を使って強い人間に勝とう

 

タナトスの一族は、極度に罪悪感を欠いた状態で生まれる。これは、誰にも好かれない彼らが、性欲処理のためだけに家族と近親相姦を1000年間続けたために生じた。30万年前のことである。罪悪感を欠いた人間はどのように人類独特の知能を用いてきただろうか?その詳細は、「悪い顔」を見てもらうとして、ここではタナトスの秘儀、対人恐怖作戦(強い敵の弱体化)について考えたい。タナトスは、我々人類と同じ姿をしていながら、丸で我々とは異なる人類のように、さも、昆虫や動物を観察するように我々人類を研究した。この観察によりタナトスは、どんなに強い人間だろうと心を攻めればその強い人間を弱体化できること、そして、罪悪感が強ければ強いほど、強い敵を思い通りに操作できることを覚えた。過去には、預言者ナタンがダヴィデ王に強い罪悪感を植え付けて思い通りに操作した。できそこないが真の王を操作するのだ。これは極めて反自然的な事象である。

これは人類で最初にナタンがやったことだが、人為的に罪悪感を育てるには、まず、敵を悪者扱いすることである。敵を暴力行為や破壊行為に導くこと。この誤誘導には、そのときと場合によっていろいろな方法が考えられる。そして、作られた罪を不特定多数で責め続けること(信者が多ければ容易なことだ)。これにより、敵は何もしなくても「あ、すいません、すいません」と謝るようになる。日本ではこのような状態を対人恐怖と呼ぶ。何もしていないのに謝るのは、罪悪感が大きい証拠である。どんな強い人間も対人恐怖になると、思い通りに操ることができる。タナトスはそれを知った。タナトスは見えない心を知覚するということを人類で最初に成し遂げた一族だが、その発想から得られたすべての成果は悪用されている。ダヴィデ王も対人恐怖だったわけだ。

対人恐怖を分かりやすく説明するために、犬嫌いの例を挙げたい。まず、犬嫌いというものは、概して犬に噛まれることで生じる。これにより、被害者は犬嫌いになることが多い。しかし、注目したいことがある。それは、噛んだ犬、或いは噛んだ犬種のみを嫌いになるのなら納得できる。だが、犬嫌いはすべての犬を嫌いになる。子犬も例外ではない。これはなぜだろう?結局、犬嫌いとは意志の問題ではなく、本能の領域の問題なのだ。犬に噛まれれば、「犬は危険だ」という経験に基づく認識が本能に刻まれる。その結果、犬であればなんでも嫌悪を抱くようになるのだ。本能の領域で設定された認識は一旦生まれれば覆すことは出来ない。タナトスは本能の持つメカニズムを悪用しているのかもしれない。対人恐怖は、いうなれば人間に傷つけられたことで、人間は危険だという認識が本能の領域で生じた結果である。

この対人恐怖にはタナトスにとって大きな利点がある。タナトスの敵である強い人物、優れた人物がどんなに人に好かれていても、対人恐怖になれば、その強い人物は自らが人を遠ざけようとする。或いは人から遠ざかろうとする。つまり、タナトスは強い敵に近づいてくる人間をいちいち排除する必要がない。つまり、対人恐怖は魅力的な人間、才能がある人間、優れた人間に限定される。それ以外の人間(魅力のない人間、優れていない人間)が対人恐怖になることは決してない。優れた人間は、できそこないの王タナトスの永遠の敵なのだ。

とにかく、罪悪感は哺乳類ならどんな動物でも持っている。犬どころか、猫でさえ罪悪感はある。ネットを検索していると、猫が大好物を盗み食いしようとして奮闘している動画をみつけた。当初、猫は飼い主が隠し撮りしていることを知らずにいたが、ふと隠し撮りに気付くと振り向きざま、凝固してしまう。そして全身で「ご、ごめんなさい」と謝意を表している。猫が固まったのは罪悪感がある証拠に他ならない。そして、猫よりも高等な犬も当然のように罪悪感がある。間違えて俺に吠えた犬は、「あ、すいません」という顔で申し訳なさそうにすることがある。これも罪悪感がある証拠だ。犬や猫でさえ罪悪感はあるのに、タナトスの一族には丸で罪悪感がない。この事実はどういう風に解釈すればよいだろう?すべては愛のない性欲処理目的の近親相姦に通じる。

どんな動物(特に哺乳類)も、近親相姦は是が非でも避けようとする。それは、動物たちが本能の領域で、罪悪感を持たない個体の誕生が悲壮な結末をもたらすことを知っているからではないだろうか?罪悪感を持たない個体は、種(しゅ)を絶滅に導くのだ。人類の場合、種(しゅ)を絶滅に導くものがタナトスなのだ。タナトスを生まないためには、愛のない快楽が目的のセックスは厳禁とすることだ。一番良いのは女性がセックスの主導権を握ることだ。女性が喜ぶセックスはすべて正解である。一方、男が主導するセックスはすべてではないが、不正解が多い。特にきもゲイ。好きな相手が寝ている間に忍び込み、催眠術をかけて意志を踏みにじった上でレイプするとは言語道断だ。きもゲイは滅ぶべし。

※動物にも罪悪感があるため、動物が持つ罪悪感を巨大化して動物を操作することも可能である。例えば、ワザとニホンザルのボスなどに小さい子供を襲わせる。そして、子供の復讐ということで隠れていた大人たちが多数でボスザルを威嚇する。食い物を取られても黙り、子供を襲われた時にだけ威嚇する。サルにも家族はいるわけで、家族を襲われた気持ちはサルにでも理解できる。子供を襲って人間に怒られれば同じ立場にいるボスザルは人間の怒りを理解し、申し訳ないと思う。そこに罪悪感、良心の呵責が生じるはずだ。カラスも頭がいいからこの方法は通用するだろう。ただ、囮の子供は大怪我ではすまない可能性もある(だからこそ相手の罪悪感を刺激できるのだが)。

 

③滅ぶべき人類 既に30万年前に審判は下っている

 

タナトスの誕生。それは、地球が人類に対して「最後の審判」を下したイベントだったということができる。タナトスが極度に罪悪感を欠き、人肉を食べるのは、人類の天敵として地球に選ばれたからだ。この時点で人類は飽和状態に達していたのだ。人類の天敵は人類以外ありえなかったのだ。このタナトスの誕生は最初の「最後の審判」だった。しかし、地球の思惑をよそに、知能を持った人類は簡単には滅ぶことはなかった。通常、知能を持たない動物の場合、できそこないは自然に滅びる。これを淘汰と呼ぶが、人類の場合は、知能によって人工的に淘汰を免れるのだ。人類に於いては自然淘汰の機能が無効化されているのだ(特にタナトスの場合)。

人類は1000万年前~400万年まで水棲霊長類として生きた。その後、30万年前に最初の「最後の審判」となるタナトスが生まれる。タナトスが生まれるまでの970万年間は、人類にとって真に幸福な時代だったといえる。それ以後人類が不幸なのは、人類が既に地球によって最後の審判を下されている滅ぶべき種(しゅ)からだ。

タナトスの次に登場したのが宇宙人(科学の種族トバルカイン)である。宇宙人が第2の「最後の審判」である。彼らはその優れた知能により、科学の道に邁進し、すべての物質を分子の次元で操る技術を開発した。UFO、テレポーテーションなどもこの技術に関連して生まれたと考えられる。それ以前に、約2万年前に宇宙人は核兵器を開発しているが、これが第2の「最後の審判」だったということができる。核兵器は地球の意志で生まれたのだ。核兵器の発想が宇宙人の脳内で生まれたということは、その時点で人類は滅びなければならなかった。聖書の発想は、できそこないは滅びなければならないという発想の途上で生まれた。

BC35世紀に宇宙人トバルカインの子孫であるダヴィデ王が出現し、その後、ダヴィデ王からはダヴィデの一族が生まれた。そのダヴィデの一族に属する愛新覚羅の一族からも生まれた。第3の「最後の審判」がオレだ。タナトス、宇宙人、オレ。世界中、誰にでも好かれる俺の顔は、タナトスの悪の意志、宇宙人トバルカインの超科学に次ぐ、人類の滅亡を左右する力を持つ。もし、俺の顔を世界中の女が知れば誰も結婚もしなくなるし、子供も生まなくなるだろう。そうして人類(特にできそこない)は生まれる前に淘汰され、できそこないの人口だけが減っていくのだ。

ただ、今現在。探偵が催眠術でオレに漫画を描かせて莫大な利益を上げながら一銭もよこさないことで経済的にオレを八方塞がりにすることで家畜化し、顔が良い男女を生む資源として用いている。それなので、俺がバカを淘汰する力を発揮するのは、宇宙人やアニキたちが俺を解放して以後となる。人類は20億~30億に減り、主にバカが大量に死ぬことで非常に暮らしやすくなるのではないか。人類の天敵ではなく、地球の天敵となった「最後の審判」のfailureタナトス、タナトスに追従する三下犯罪者、頭がおかしいきもゲイや、外で吹かしているバカには全員死んでもらおう。

タナトスが出現した時代、地球上の人口は数百万ほどだったと考えられる。たった数百万人でさえ地球上に於いては人類は飽和状態であり、人類は滅ぶべきだと地球は判断したのだ。トバルカインが出現した時も数千万程度だったと考えられる。タナトスとトバルカインの誕生した際には、地球は人類を殺すことで人口を減らそうと試みていた。だが、俺が生まれた時代は人類は30億を超えていた。このような状況に至るにあたり、地球は人類を殺すのではなく、子供を生ませないことで人類を減らそうという発想にスイッチしたようだ。

宇宙人はタナトスの歴史、宇宙人の歴史(ダヴィデの一族)、人類の歴史(異なる35の人類)を教えてくれた。そして最後に教えてくれたのがオレのことだ。「おまえはきもいゲイにレイプされているぞ」「おまえがかわいいと思っている子達はみんなおまえの娘だぞ」「おまえは野中だぞ」である。宇宙人は重要なワードをそれとなく無意識の領域に刷り込む。そして、気になったオレは検索してみる。今はネットがあるからわからないことがあったらすぐに調べることができる。すると「はっ!」ということがよくある。手塚治虫の「火の鳥」じゃないが、地球は生きている。意志を持つ巨大な生物であることを痛感する。地球の大いなる意志が、人喰い人種タナトスを生み(now a failure)、超科学の番人トバルカイン(宇宙人、ダヴィデの一族)を生み、俺を生んだ。

人類の天敵として機能するはずだったタナトスは化学兵器により、地球を汚染することをはじめた。これにより、自然界が打撃を受けている。これをみてタナトスの天敵として宇宙人が動き出した。20世紀、宇宙人は思考を読む装置を開発した。そのため、彼らはタナトスのことを知ることが出来た。例え、人類が滅んでも宇宙人は生き続けるだろう。つまり、ぼくらが地球上からいなくなっただけで人類が滅んだと認識するのは正しくない。ただ、地上には優れた人間もいる。大量の無能なゴミやできそこないはともかく、優れた人たち(強い英雄、優れた芸術家)が滅べば、宇宙人も寂しいと思うことだろう。人類が地球から下された最後の審判を回避するには大量のできそこないを淘汰することかもしれない。もはや、石を投げればバカに当たる感じだから。良くも悪くも、できそこないこそがオレのようなすごいやつに群がるのでバカが多いのはおれ自身がイヤというほど痛感している。民主主義の時代とは、バカが力を持つ時代のことである。7/30

 

④集団ストーカーは白血球

 

仏教がでかい動物なら、オレは動物の身体に侵入したウィルスで、集団ストーカーに従事する信者たちは白血球だと仮定することが出来る。どうりで死ぬことも厭わない。なんつっても白血球だからなw 

9月6日現在、香港ではまだデモをやっているという。「無能なヤツばかりなのに、人が多いだけでここまで出来るんだ」と、アニキたちは驚いていることだろう。香港デモは中米移民キャラバン、一向一揆、十字軍、ケルト人の聖なる移住と同じだ。数で優れた人々を圧倒し、数で優れた頭脳、数で強い力、数で鍛えられた精神を反故にする。そのための大量の人員である。修練と鍛錬の毎日に明け暮れる百戦錬磨の宮本武蔵でさえ、力も勇気も知恵もない農民が100人がかりで襲ってくれば鍛えた技のひとつも披露することが出来ず、戦う前に殺されてしまう。いや、武蔵ほどの豪傑なら農民の10人くらいは斬るだろう。だが、あとは残りの90人にやられてしまう。ただ、武蔵が負けるのは弱いからではない。単なる物理の法則が機能しているに過ぎない。しかし、死が負けであるなら間違いなく負けなのだろう。

今、香港で起きていることはまさにそれだ。いにしえの聖なる移住(ウェルサクレム)、十字軍、一向一揆の再来だ。数で圧倒する際の信者たちの特徴として2点を挙げたい。ひとつは、信者たちがばらばらだということだ。香港デモに参加している法輪功信者たちをよく観察すると、休憩中は信者たちひとりひとりが距離をとり離れ離れになって、芝生などに座り込んでいる。まるで花火大会の観客だ(しかもひとりで見に来ている童貞が多い花火大会)。これは法輪功が信者の団結を防止するために信者ひとりひとりに「信者同士仲良くするな」と脅しをかけているのだ。浄土真宗でも同じことをしている。まったく矛盾している風景だ。あんなにたくさんの人々が同じ志の下に集まっているはずなのに、お互いはすべからく赤の他人でしかなく、完全に孤立している。

ふたつめは、信者たちが誰も警察を恐れていないことである。一向一揆でも無知で勇気も力もない農民たちが、日本刀を手にした戦い慣れた武士たちに向かっていった。聖なる移住では、ケルト人の農民がローマ軍の大部隊に向かっていったし、キャラバンでも中米の民衆が近代的装備をしたアメリカ軍を恐れずに行動している。別の例では、カペー朝ルイ7世の一族に属する神官が北アメリカではウォヴォカと称し、スー族に「ゴースト・シャツ」なるものを手渡し、「これを着ていれば弾丸を通さない」とウソをつき、無理にアメリカ軍と戦わせた。同様に、ングワレを称したジョンはタンザニアでも同じようにマトゥンビ族をだました。彼らは、ただの水を持ち出してきて「この薬用の水(マジ)を飲めば撃たれても死なない」とウソをつき、タンザニア人をだまして近代装備で固めたドイツ陸軍と戦わせた。ニュージーランドではマオリ族を指揮し「ハパ、ハパ、パイマリレ、ハウ」と叫びながら大英帝国陸軍に突進させた。彼らは手を高く上げ、手のひらを前に向けて前進した。そうすれば銃弾を避けられると教えられたのだ。しかし、それは「ゴーストシャツ」や「マジ(薬用の水)」同様、ただのウソである。

このように、香港デモ、キャラバン、一向一揆、聖なる移住同様、ゴーストダンス、マジマジ、パイマリレのいずれの事例でも信者たちは自分よりも強い武装した敵を恐れていない。これはつまり、弱い人間(農民、民衆)と怖い人間(タナトス)の組み合わせが何をもたらしているのか。それを考えることが最大のポイントである。弱い人間たちはタナトスに逆らえば生きたまま引き裂かれることを恐れている。弱い人間たちはタナトスが虐殺を楽しむ人々だということを知っているのだ。だが、ダヴィデの一族はタナトスのことを知らない。それならばタナトスの命令を聞かないのは損ではないか?ということだ(タナトスは強い人間の前では猫を被り、弱い人間の前では安心して残忍な正体を見せる)。強い王はタナトスよりも強い、しかも理由も泣く人を殺すことはない。しかし、タナトスは強い王よりも弱いが、すぐに人を殺す。楽しんで人を殺す。そういうわけで、弱い人間はすぐに殺さない強い王よりも、すぐに殺す残忍な犯罪者の方に耳を貸すのだ。その弱さゆえに

また、タナトスは直接手を下すことをせず、たくさんの信者(民衆)に離反者を無視するように脅すことがある。結局、タナトスの命令を聞いてレベルは低くても安泰に暮らすか、それとも、タナトスに逆らって友人に無視されて野垂れ死にするかという選択を、誰にも見られないところで弱い人間は迫られている。そして弱い人間は、生きたまま引き裂かれたり、友人に無視されて孤独死するよりも、警官や軍隊と戦う方を選ぶのだ。このような心情は強い人間には分からない。黒澤明、橋本忍が述べているように他人の気持ちを知るには他人の立場を考えるべきなのだ。黒澤、橋本は映画「悪いやつほどよく眠る」の中で「悪を憎むのは難しいよ。憎しみを掻き立てて自分自身があくにならないといけない」と述べている。タナトスは人権、民主主義を悪用し、「おれたちにはフェイクメディアがついているので中国政府がお前らを殺すことはない。安心して暴れろ。もし何かされたら民主主義を守れ、暴力反対と叫べ」と、指導しているのだ。そう指揮することにより、困ったことに、デモ参加者は実際には、単に犯罪者の脅しに屈服している無力な人間にもかかわらず、第三者的な目線では、デモに参加している信者たちは暴力を恐れない勇敢な人々に見えてしまう(タナトスは常に第三者の目を意識している)。さらに、タナトスは敵の罪悪感を刺激することに長けている。さらに、タナトスは「警察が強制的に排除しようとしたらいじめられているふりをして泣け、触ろうとしたらイヤな顔をして叫べ。そうすればやつらはひるむ」と指導している。そう。タナトスは人類史上初の罪悪感を発見した人々であり、罪悪感が人生の足かせであることを見抜いた。そしてその発見を悪用し、敵をひるませるために使用しているわけだ。

香港デモは、実質的には東西本願寺による香港侵略の試みである。中国は、「法輪功が中国侵略を目的に大量の信者を脅して操っている。背けば友人、家族、同僚に無視されるのだ。邪教から信者たちを救うために法輪功の李氏を逮捕し、法輪功から大量の信者を貸与してもらっているウソつきの民主デモ指導者も全員逮捕する」ということにして、ディープステートみたいにすぐに皆殺しにすべきだ。指導者が皆殺しになれば、信者たちはウソのように動かなくなる。頭を失った体が動かないのと同じだ。勇猛果敢、稀代なる英雄織田信長さえも、こんな簡単なことがわからなかった。デモに参加している信者たちは民主運動なんかどうでもいいと思っている。ただ、本願寺に逆らうと友達がいなくなるので、民主派が正義で中国は悪だと信じている芝居をしているに過ぎない。ロシアやベネズエラでも民衆のデモは起きたが、数が少ないので何とかなった。しかし、そこはさすが人口が世界最大の国。いくらでも人が出てくる。いくらでもデモ要員を補充できる。この数の恐ろしさ。恐怖を感じるほどの人の多さだ。それが本願寺の狙いだ。プーチン大統領、トランプ大統領などの優れた人々にはこんなこけおどしは全く必要ないが、できそこないのタナトスの血を引く香港民主派の連中は、こけおどしが必要だ。そのために大勢の奴隷を引き連れている。そうでないと見栄えさえ悪いものだ。できそこないのタナトスにとって、数は威嚇だ。多ければ多いほど強いし、だが少なければ少ないほど弱くなる。タナトスとはそういう不思議な生き物なのだ

ひょっとして中国政府に裏切り者がいるから、法輪功みたいな正義を気取った無法集団が好き勝手できるのかもしれない。或いは隠れ法輪功信者が政府内にいる。奇妙なことに日本の陰謀論者には中国政府が中国児童の誘拐に手を染めていると述べる人がたまにいるのだが、そんなわけない。やっているのは法輪功、ウイグル、チベット仏教だ。早く本願寺門主を殺せばいいのに。9/5の電車事故で示された暗号によればもう死んでるかもしれないけどw 断言は出来ない。ヌカ悦びはダメージ強いからな。死んだと思ってたのに、じつは生きてると知ってこんなにがっかりするやつらいないよw

 

⑤敵を作れ(悪を作れ)

 

タナトスは悪を欲する。しかしタナトス以上の悪はいない。であるから悪は作らねばならない。温暖化は悪を作る装置である。宗教の自由によって異端という発想が消滅し、冷戦終結によって共産主義という敵が消滅した今、新たな敵を作るためにタナトスは温暖化という敵を作る装置の製作に着手した。ちょうど冷戦終結の翌年、1992年である。タナトスは温暖化問題などに興味はないし、環境を保護しなくてもいいことを知っている。その上でウソをついているのだ。敵に「ウソつくな!」といってほしいのだ。かつての十字軍、異端審問(魔女狩り)がそうであったように。要は、タナトスが所持している世界中の大量の信者(数億人)を脅して自分たちのウソを信じるフリをさせる。それだけで「温暖化は正しい」という印象・常識が完成する。これにより、温暖化問題を改善しようとするタナトスは善となる。少なくとも頭の弱い連中にはそう見える。それが最大の問題点なのだが。そうなれば、温暖化に反対を唱える者を悪に変えることが出来るのだ。十字軍・異端審問(魔女狩り)の頃は、キリスト教に反対する者を異端としてすぐに殺したし、共産主義を敵に規定していた時代もアメリカでは赤狩りが起きたが、今では殺さずにフェイクメディアを用いて社会的地位を貶めるに留まっている。

とはいえ、温暖化という敵を作る装置は主としてメディア、企業、消費者を標的にしている装置であり、支配層・国家間で幅を利かせている敵を作る最大の装置はやはり民主主義である。アメリカ民主党(damn o crudz)みたいなバカの集団があからさまに凶悪犯罪に手を染めながら民主主義、民主主義とバカの一つ覚えのようにわめくのは自分たちこそが民主主義の番人だという印象がほしいからだ。尤も、彼らが民主主義の番人に見えるのであればそれは頭が悪い証拠でしかない。それでも民主党が民主主義、民主主義を繰り返すのは数の力(全世界で信者数億人)を信じているからだ。それだけだ。あのようなできそこないにはそれ以外ない。彼らは、全世界数億人の信者を所持している。その事実のみを盾に民主主義の砦を演じ、例えばトランプ大統領が民主党を批判した場合「大統領は我々民主党を批判しているのではなく民主主義を否定している!」として攻撃するわけだ。要は世界はバカが多い。そのバカどもがフェイクメディアを通じて「自分たちのウソを信じれば勝つ」ということだ。

しかし、最近は全世界的に温暖化に疑念を持つ人が増え、その対策に耳を傾ける人が減少しているため、タナトスは新たにプラスチックゴミ問題を取り上げている。例えば、死んだ鯨の胃から大量のプラスチックが見つかったetc。バカか。鯨は哺乳類だから人や犬と同様に異物が口に入れば吐くだろ。その鯨は死ぬまでプラスチックを食い続けたのか?このようにプラスチック問題はあからさまなウソでしかない。要は、プラスチックゴミ問題は温暖化と同じで敵を作る装置なのだ。プラスチック問題に取り組めば善であり、「そんなのはウソっぱちだ」と言えば悪となる。プラスチック問題も温暖化と同様にタナトスを善に規定し、敵(悪)を作るための装置でしかない。しかし、そのプラスチックゴミは温暖化に比べてセンセーショナルな響きに欠け、話題性に乏しいためか、タナトスは想いを新たにグレタという将来有望な嘘つきを先頭に立たせて温暖化問題の復活に再起をかけている。タナトスを善に変え、敵を悪に規定する装置の復活をかけて!

このように、タナトスは所持している大量の信者(世界で約数億人)を脅すことで、悪も善も作ることが出来る。みそっかすも人気者も作ることが出来る。香港デモも、自分たちのウソを正しく見せるために大量の信者が動員されている。数が多い=正しい。つまりタナトスが支配する世の中では、数が少ない方が正しいということになる。香港デモに参加している信者たちは、香港人ではなく、隣のシンセン市からやってきている。シンセンの法輪功信者である。シンセン市長がどうも法輪功信者、或いはタナトスであるため、法輪功の指示に従っているようだ。しかも、香港政府長官もタナトスの可能性がある(正体は台湾の総統か?)。彼女が香港政府を敗北に導いているため、デモ隊に勝てない。敵が味方であるならどんな局面でも負けることはないということだ。日本でも自民党よりも、野党のほうがタナトスの比率は高い。立憲民主党、国民民主党、共産党、社会民主党、れいわ新撰組も党首はみなタナトスだ。イギリス野党の首領コービン氏もタナトスの可能性が高い。猿芝居なのだ。セルフ猿回しなのだ。猿が自分で自分を回すのだ。これなら、例え自民党が全員知恵遅れでも野党に負けるわけがない。敵が負けてくれるのだから。中国には古来から仏教信者(タナトスの家畜)が多い。そのため、数が多ければ勝つという法則に乗っ取って考えるタナトスは「自分たちが負けることはない」と考えているようだ。

 

⑥気持ちいいウソ

 

気持ちいいウソはタナトスの最大の武器だ。タナトスには罪悪感がない。つまり、ウソをつく時もトーンにブレがないし、気持ちにも一切の揺るぎがない。聞く相手は気持ちいいのだ。まさかウソをついているなどとはついぞ思わないのだ。普通の人間ならウソをつく時、トーンはブレまくり、気持ちは地震のように揺らぎ、視線は泳ぎまくる。タナトスにそんなことはない。タナトスがウソをつく時、人々は母親の子守唄を聞く如き心地よさに酔いしれる。タナトスのウソは悪魔の甘い囁きと呼んでよかろう。頭の悪い人間なら、イチコロでタナトスに騙されること請け合いだ。タナトスのウソを信じる人々はタナトスがウソをついているとは思わないし、タナトスのウソを批判するものを敵視するという弊害も生む(バカであることも悪なワケだ)。ただ、タナトスのウソも、悪魔の甘い囁きなどではなく、安倍総統のように単なる精神病にしか見えないことがある。あからさまなでたらめを、さも道案内をする親切な人のように、一点の曇りもない顔で自信満々で述べることから、精神病に見えるというわけだ

そう、タナトスの一族はみな、基本的には精神病だ。世間話をするようにウソをつき、笑いながら人を殺すことが出来るからだ。すべては罪悪感の欠如に起因している。罪悪感がない人間に罪を認めさせ、反省させることは不可能だ。狼や虎に殺すことは悪いことだと説き伏せることが出来ないのと同様である。罪悪感がない彼らが生む悪は本能だ。彼らを止めるには命を奪うこと。首を獲ること。絶命させること。タマとること。殺すしかない。

結局、タナトスは足が生えたゴミであり、自分の足でゴミ捨て場には行かず、逆にゴミ捨て場から逃走することしかできない。タナトスにとっての足は逃げるため足だ。罪悪感がないという利点(普通の人々っては悪徳)だけで頭の弱い人間を丸め込み、人喰い人種であることを盾に脅しをかけて力の弱い人間をラジコンのように操ることしかできない。バカだから弱い人間しか操れない。プーチン大統領、トランプ大統領のような英雄、ジョン・レノン、アントニオーニ、小津、黒澤のような優れた芸術家、そしてオレのような世界最高の顔を持つ男や超科学の番人である宇宙人(トバルカイン)を操れるようになったら褒めてやる。それこそがおまえらにとっての進化であるべきだ。だが、いつまでたってもできそこないにはそれができない。死ぬまで好きなだけたくさんのバカを操ってゴキゲンでいればいいじゃないか

 

⑦タナトス独自の階級制度 カースト制度

 

カースト制度はタナトスの一族の中で機能しているヒエラルキーシステムである。最高位がバラモン(僧侶)であり、その次の高位がクシャトリヤ(貴族)、その下にヴァイシャ(平民)がいる。タナトスの一族はここまでである。ヴァイシャ以下のスードラ(奴隷)はタナトスの一族以外の人々(邪教信者)であり、バリア(不可触卑民)は集団ストーカー被害者のように優れた資質を持つ者である。優れている者は少ない。つまり、数で勝る劣っている者を邪教の信者として指揮し、集団で優れた者を無視すれば優れた者に勝てる。これが集団ストーカーの機能・本質である。つまり、タナトスにとっての異分子排除が集団ストーカー指揮の目的・動機である。集団ストーカーの指揮権はバラモンだけが有するのであり、それ以下の階級では扱うことは許されない。そのため、安倍(クシャトリヤ)がどんなに嫌がっていても俺の声は常に(生放送中)彼に聞こえている。TV局ディレクター(ヴァイシャ)も俺の声を停止する権限はない。俺の声を聴くことを停止する権限は本願寺門主だけが有しているのだ。

分かりやすく説明すると、並み居る悪徳バラモンの中でもバラモンの王と呼べるのは唯一東西本願寺門主だけである。現在のタナトスの王は大谷暢裕先生、大谷光淳先生であるこの事実については世界中のタナトス一族に異論はない。クシャトリヤは分かりやすく言えば貴族、王族、政治家である。しかし先進国に於いては現在、王室はタナトスの巣でしかなく、それほど強い権限はないようだ。ただ、カタール、オマーン、クウェート、バーレーン、モロッコ、ブルネイ、タイ、カンボジアなどの王国では王族が強い力を持つというケースもある。大統領、首相級の元首から、果ては各企業のCEO、エリート官僚(警視総監、最高裁判官など)、各種権威(教授、専門家)、高級医療従事者までがクシャトリヤとなる。主なクシャトリヤにはキッシンジャー、ヒトラー、安倍総統、ポロシェンコ、そしてブッシュ、クリントン、オバマなどのディープステートが含まれる。ヴァイシャは平民であるが信者を指揮する権限はない。だが、バラモンの命によって大量の信者たちに守られている。2ちゃんの西村博之、カンニング竹山、バナナマンなどが代表的なヴァイシャの指導者だ。また、ヴァイシャは地域規模ながら、世界中で頭領のように振舞っていることがある。役所職員、警察官、消防員、電気会社職員などもタナトスの平民、ヴァイシャである。香港デモの場合、現場で信者たちを直接監視・指揮しているのもヴァイシャである。クシャトリヤ以上の階級が現場に赴くことはない。カーストは厳しいものだ。

集団ストーカーに従事するのはスードラ(邪教信者)である。スードラはもともと奴隷の意味だが、その通り、集団ストーカー加害者は間違いなく奴隷である。ただ、俺に言わせてもらえば、現在の信者は骨伝導音声送信技術、レーザーセンサー、人工衛星、AIの技術向上により、もはや奴隷というよりは道具(ラジコン)にまで堕ちている。どんな奴隷でも一応は人間だからな。あいつらはもはや人間でさえない。スードラはバラモン、クシャトリヤのためなら何でもする。このスードラが集団ストーカーで現場に従事し、過去には魔女狩り、異端審問で大きな役割を果たしてきた。無能な安倍政権支持も、消しゴムみたいなグレタ・トゥーンベリの支持も、通りすがりゲイ人の人気爆発も、資源の無駄でしかないベストセラーもスードラの存在があってこそだ。スードラがいなければタナトスには何も成し遂げることは出来ない。大量のスードラがバラモンのたわごとを脳に記憶し、自身の発言や行動として何度も反復させることで、タナトスはウソを真実に変えてきた。真実を作ってきた。そう。真実とは、人気者であれ、敵であれ、常識であれ、歴史であれ、すべて作られてきたものだ。タナトスにとって信者の数は発言力の強度である。信者の減少は発言力の無力化を示す。しかしタナトスはそこのところは心配していない。信者は弱い人間だからだ。信者は、弱いからこそ完全に服従し、弱いからこそ裏切らない。檻の扉が開いていたら犬でも猫でもゴキブリでも逃げるがそれでも信者は逃げない。まさに理想的な僕(しもべ)だ。弱い人間には、善悪の判断基準は装備されていない。そこにあるのは怖いか?怖くないか?今死ぬのか?後で死ぬのか?という弱い人間特有の判断基準である。信者に自身の意志はない。

集団ストーカー被害者はバリヤ(不可触卑民)に規定されるが、実際には人生に於いての勝利者である。あらゆる面で優れているからだ。だがタナトスは、その勝利者を多数の信者(スードラ)を用いて無視し、敗北者であるというウソを強制的に規定することで、タナトスが作り上げてきた社会システムから排除する。優れたものが排除されることで、できそこないであるタナトスに、大統領からTVの人気者まで、あらゆる席が用意されることになるのだ。優れている人間は、他者に優れていると認定される必要はない。誰にも認められなくとも優れている事実は揺らぐことはないのだ。だが、できそこないは常に他者に優れていると認定されることが不可欠である。そうしなければ優れていることが誰にも分からないのだ。と、いうことは優れていないのだがw

 

 

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